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高松高等裁判所 昭和44年(ネ)1号 判決 1970年4月24日

控訴人(原告)

被控訴人(被告)

三好芳子

代理人

武田博

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  申立

(一)  控訴人の求める裁判

「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、金六二七、五六六円およびこれに対する昭和四一年八月二八日以降まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決。

(二)  被控訴人の求める裁判

控訴棄却の判決。

第二  主張

当事者双方の事実上および法律上の主張は、左のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、それをここに引用する。

(控訴人の主張)

一  本件支給裁定の取り消しは適法有効であり、かつ、その効果は当然に既往に遡及するものというべきである。

従来、瑕疵ある行政行為の職権による取り消しについては、その行政行為を基礎として形成された法律秩序の維持尊重、人民の既得の権利・利益の保護という見地から、その行政行為が申請者の詐欺等の不正行為に基づくことが顕著な場合でない限り、その取り消しを必要とするだけの公益上の理由がなければこれをなしえないとか、あるいは、相当の期間を経過した後においてはこれを取り消すことができないとかいつた見解が判例学説によつて支持されてきたが、このような見解によるならば、瑕疵ある行政行為の取り消しは、その取り消しによつて生ずる関係人の不利益とこれを取り消すことなく瑕疵ある行政行為の効果をそのまま維持することによる公益上の不利益とを比較考量し、それを放置することが公共の福祉の要請に照らして著しく不当であると認められるときに限つて許されるということにならざるをえないであろう。

しかして、瑕疵ある行政行為の取り消しの制限に関する右のような判例学説の立場は、主として農地法(もしくは自創法)上の各種の処分、許可などの取り消しの可否の問題をめぐつて形成されてきた超法規的な条理上の取消権の制限にほかならないが、かような制限を前提としてもなおかつ、本件扶助料の支給裁定の取り消しは適法有効といわなければならないのである。すなわち、一般に恩給法上の遺族扶助料の支給は、遺族の生活保障という性質を濃厚に帯有するもので、死亡公務員との関係の緊密の度合により受給順位が決定され、かつ、その受給権は一身専属的なものとされているのであつて、いわゆる給付行政に属するものと考えられ、その支給裁定も受給要件を具備することの確認的な行政行為にほかならず、ただ、扶助料の支給に関する行政事務を的確かつ能率的に処理するために、支給裁定を受けた者に限つて、現実に扶助料の支給を受けうるものとしているにすぎないのである。そうだとすると、真実受給権を有しない者に対してなされた扶助料の支給裁定は、法の趣旨に反する重大な瑕疵ある行政行為というべきであるばかりでなく、これを放置することによつて真の受給権者が扶助料の支給を受けえないという不当な結果を避けることができない。一方、受給権を有しない者としては、もともと扶助料の支給を受けるなんらの権利も有しておらず、また、誤つて支給の裁定を受けたとしても、それによつて実体上受給権を取得するにいたつたわけでもないのであるから、その支給裁定が取り消されたからといつて、そのために保護に値する権利・利益が侵害されるにいたるわけではない。また、支給裁定に基づく法律関係としては、金銭の支給があるだけで、その行政行為を基礎として新たな法律状態が形成される余地はなく、したがつて、裁定の取り消しによつて破壊されるような新たな法律秩序も存在しないというべきであつて、以上の諸点を彼此比較考量するならば、右取り消しについては前記条理上の制限は及ばず、かつ、その取り消しの効果は当然に遡及するものといわなければならない。

なお、各種社会保険および公的扶助の過誤支給分については、受給者が不正手段を用いて給付を受けた場合でない限り、その返還を請求することができない旨の明文の規定が設けられているけれども、本件扶助料支給の根拠法である恩給法にはかような規定はない。これは、その費用の全額が国庫負担であること等によるものであつて、この点からも、扶助料の過誤支給分は全額返還せしめるというのが法の趣旨とするところであることが明らかであろう。

(被控訴人の主張および抗弁)

一  行政処分にはいわゆる公定力が認められているのであるから、当事者および第三者がそれを有効なものと信頼し、その信頼の上に立つて法的安定を維持し、利益を享受するにいたることは当然のことであつて、かような信頼にもとづく法的安定、既得の利益は十分保護に値するものといわなければならない。したがつて、当事者の側になんら責むべき事由もないのに、行政庁が職権でその処分を取り消し、遡及的に利得の返還を求めるがごときことは、信義則・禁反言の法理ないしは既得権尊重・法的安定性の原則に照らして許されないというべきである。しかるところ被控訴人は、中学三年生のころ祖母らの取りはからいで本件扶助料の支給を受けるようになり、それが有効に支給されることに寸毫の疑いをさしはさむこともなく、これを学費、生活費、結婚費用等に充当費消してきたものであるから、本件支給裁定の取り消しは無効のものというべきである。

二  かりに本件支給裁定の取り消しが有効でそれが遡及効を有するとしても、被控訴人は支給を受けた本件扶助料を右のとおりすでに全額費消してしまつており、しかも、その生活状態からしてそのため喪失を免れた財産も存在しないから、被控訴人の利得は全く現存していない。

三  かりに以上いずれの主張も認められないとしても、本件不当利得返還請求権はすでに時効によつて消滅している。

すなわち、金銭の給付を目的とする国の権利は、五年間で時効によつて消滅するが(会計法三〇条)、被控訴人が最終に本件扶助料の支給を受けたのは昭和三六年七月一一日であるから、その時より五年を経過した昭和四一年七月一〇日限り右請求権は時効によつて消滅するにいたつたものである。

(時効の主張に対する控訴人の反論)

一(一)  本件不当利得返還請求権は、支給裁定が取り消されることによりはじめて発生する権利であるから、その消滅時効の起算点は被控訴人主張の昭和三六年七月一一日ではなく、本件支給裁定の取り消しがなされた昭和四一年五月二七日である。したがつて、右請求権の時効期間がかりに五年であるとしても、未だ時効によつて消滅するにはいたつていない。

(二)  かりに右時効の起算点が昭和三六年七月一一日であるとしても、本件不当利得返還請求権の消滅時効期間は一〇年である。すなわち、扶助料の受給権自体は公法上の権利であるけれども、その誤払いによる不当利当返還請求権は一般私法上の債権であるにすぎないから、その消滅時効の期間は民法の規定に従い一〇年である。

(三)  かりに右請求権の時効期間が五年であり、その起算点が昭和三六年七月一一日であるとしても、その消滅時効は中断している。すなわち、本件扶助料の返還請求については、国の特定の支給金にかかる返還金債権の管理の特例等に関する法律(昭和三二年法律第八九号)が適用されることとなるが、同法施行令第三条によると、返還金債権にかかる債権の管理に関する事務を債権管理官以外の者(債権管理主任者)に行なわせることができ、債権管理主任者は、同令第六条により口頭をもつて返還金債権の履行を請求することができるものとされており、かつ、同規則第二条によると、分課の長をもつて債権管理主任者に充て、また、同規則第七条によると、債権管理主任者は口頭による履行の請求を恩給等給与金の払渡の事務を行なう郵便局長に行なわせるものとするとされている。しかして本件の場合、右債権管理主任者は広島地方貯金局恩給課長であり、恩給等給与金の払渡の事務を行なう郵便局長は宇和島朝日町郵便局長がこれに当るところから、右恩給課長は本件支給裁定が取り消された後である昭和四一年六月一四日付で右郵便局長に対し、返還金債権の履行請求についての依頼をなし、これにもとづいて同郵便局長は被控訴人に対し、同月一七日口頭で本件扶助料の返還を請求したから、本件不当利得返還請求権の消滅時効はこれによつて中断するにいたつたものである。

(時効中断の主張に対する被控訴人の反論)

一 広島地方貯金局恩給課長の依頼にもとづき、宇和島朝日町郵便局長が、控訴人主張の時に被控訴人に対し、口頭で本件扶助料の返還を請求したことは認めるけれども、右口頭による履行の請求は、債権発生の日(最終支給日である昭和三六年七月一一日)より三ケ月を経過した後になされたものであるから(前記法律三条、同法施行令三条参照)、無効のものというべく、したがつて消滅時効は中断していない。

第三 証拠関係<略>

理由

一控訴人主張の請求原因事実についてはすべて当事者間に争いのないところ、被控訴人は、本件扶助料支給裁定の取り消しは、なんらの責むべき事情もない被控訴人の既得権を侵害するものであるから違法かつ無効であると争うので、まずこの点について判断することとする。

一般に、行政処分は適法かつ妥当なものでなければならないから、一旦なされた行政処分も、のちにそれが違法もしくは不当であることが明らかとなつたときには、処分庁みずからこれを職権で取り消し、遡及的に処分がなされなかつたのと同一の状態に復せしめることができるのが本来であるが、ただ、取り消さるべき行政処分の性質、相手方その他の利害関係人の既得の権利利益の保護、当該行政処分を基礎として形成された新たな法律関係の安定の要請などの見地から、条理上取り消しをなすことが許されず、もしくは、制限される場合があることを承認しなければならない。すなわち、(一)、行政処分が一定の争訟手続に従い、なかんずく当事者を手続に関与せしめて紛争の終局的解決が図られ確定するにいたつた場合には、当事者がこれを争うことができなくなることはもちろん、処分庁も、特別の規定のない限り、それを取り消しまたは変更しえない拘束を受けるにいたるものであり(最高裁判所昭和二五年(オ)第三五四号、同二九年一月二一日第一小法廷判決、民集八巻一号一〇二頁、同裁判所昭和四〇年(行ツ)第一〇三号、同四二年九月二六日第三小法廷判決、民集二一巻七号一八八七頁参照)、また、(二)、その他の場合においても、処分の取り消しによつて生ずる不利益と、処分にもとづいてすでに生じた効果をそのまま維持することの公益上の不利益とを比較考量し、しかも該処分を放置することが公共の福祉の要請に照らし著しく不当であると認めることができないときには、職権でこれを取り消すことは許されないのである(最高裁判所昭和二六年(オ)第四五二号、同二八年九月四日第二小法廷判決、民集七巻九号八六八頁、同裁判所昭和二八年(オ)第三七五号、同三一年三月二日第二小法廷判決、民集一〇巻三号一四七頁、同裁判所昭和三二年(オ)第一八号、同三三年九月九日第三小法廷判決、民集一二巻一三号一九四九頁、同裁判所昭和三九年(行ツ)第九七号、同四三年一一月七日第一小法廷判決、民集二二巻一二号二四二一頁参照)。

しからば、本件扶助料の支給裁定の取り消しは、以上のような条理上の制限によつて許されないものというべきであろうか。右扶助料の支給裁定が、一定の争訟手続に従いもしくは当事者を手続に関与せしめて紛争の終局的解決が図られ確定するにたつたものでないことは明らかであつて、本件が前記(一)の立場からの取消変更をなしえない拘束が問題となる場合に当らないことは疑いのないところであるから、右取り消しが違法かどうかは、結局、それが前記(二)の見地からの制限によつて許されないものと認められるかどうかにかかつているといわなければならない。そこで以下、この点について検討するに、本件扶助料支給の根拠法令である恩給法附則(昭和二八年法律第一五五号)一〇条にもとづく旧軍人の遺族扶助料は、戦死者の遺族の生活保障を主たる目的とするものであつて、強行法規によつてその受給資格者の範囲と受給権者の順位とを厳格に法定されており、かつ、その受給権は受給権者に固有の一身専属的権利であると認められるから、本件におけるごとく、後順位者であるため受給権を有しない者に対して遺族扶助料の支給裁定をなすようなことは、右恩給法の趣旨に著しく反するところであり、したがつて他に特段の事情の認められない以上、これを取り消して遡及的にその効力を失わせることが公共の福祉に沿う所以であるといわなければならないばかりでなく、恩給法上、総理府恩給局長の裁定という行政処分によつて遺族扶助料の支給を受ける権利が具体的に生ずるという建前がとられている(同法一二条)ところから、恩給局長が受給権者でない者を誤つて受給権者と認めて扶助料支給の裁定をした場合においても、その裁定に公定力が認められる結果、それを取り消さない限り、真の受給権者は恩給局長の支給裁定を求め現実に扶助料の支給を受けることができないこととなり、法の目的に反するきわめて不当な結果を招来することとならざるをえない。一方、右支給裁定を取り消すことによつて生ずる関係人の不利益はどうであろうか。支給裁定の効力が遡及的に失われるため、誤つて受給権者とされた者としては、その支給裁定にもとづいて支給を受けた利益が現存しているかぎり、これを返還しなければならない立場に立たされることとなり、不測の損失を被る場合がありうることはこれを否定することができないけれども、恩給法にもとづく遺族扶助料の受給権は、本来、法定の要件を具備する場合に直接同法にもとづいて発生する公法上の権利であつて、総理府恩給局長の支給裁定は、扶助料支給に関する行政事務を的確かつ能率的に処理する必要上、受給権者の要件を具備していることを公の権威をもつて確定し宣言する確認行為にすぎず、これによつて受給権が賦与されるわけではないのであるから、受給権者でない被控訴人に対して誤つて支給裁定がなされたからといつてその故に実体上被控訴人は受給権が生ずることとなるものではなく、したがつてまた、それが取り消されたからといつて既得権の侵害が問題となる余地はないのであつて、ただ、法律上保持することの是認されない事実上の利益が奪われる結果となるにすぎないのである。のみならず、本件支給裁定にもとづく法律関係としては、一定期間被控訴人に対して金銭(扶助料)の支給がなされる法律状態が作出されるにとどまり、それを基礎として第三者の権利もしくは法律関係が新たに形成される余地はないのであるから、右支給裁定の取り消しによつてこれを基礎とする新たな法律秩序が破壊されるにいたるという関係も認めることができない。

これを要するに、本件支給裁定を取り消すことなくその効果をそのまま維持することによつて生ずる公益上の不利益は、前記のとおりきわめて大きいといわなければならないのに対し、これを取り消すことによる不利益は右のごとく単に事実上のものにすぎないのであつて、この両者をかれこれ比較考量するならば、本件支給裁定を取り消すことなく放置することは、公共の福祉の要請に照らし著しく不当であるといわなければならない。そうだとすると、本件扶助料の支給裁定の取り消しは適法になされたものというべきであり、しかも、これによつて既得権が侵害され、もしくは、既成の法律秩序が破壊されるものとは認められないこと右にみたとおりである以上、その効果が既往に遡つて生ずることは多言を要しないところであるから、被控訴人が支給を受けた本件扶助料は法律上の原因を欠く利得というべく、被控訴人は民法七〇三条にもとづいて控訴人に対し、その利益の存する限度でこれを返還すべき義務を負うものといわなければならない。

二しかるところ被控訴人は、支給を受けた本件扶助料はすでに全額費消してしまい、しかも、そのために喪失を免れた資産もなんら存在しないから、被控訴人の利得は全く現存していないと主張するので、次にこの点について検討するに、<証拠>ならびに前記争いのない事実を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  被控訴人は、昭和一六年六月二五日野中大吉、同文子の長女として出生したが、同二〇年六月二〇日父大吉が比島レイテ島において死亡し、さらに母文子も同二二年一二月中ごろ(被控訴人の六才の時)被控訴人を婚家に残したまま実家に帰り、被控訴人の養育監護について全く関心を払おうとしないようになつたところから、その後は、父方の祖母野中ウルおよび伯父野中好春夫婦の手許で伯父の子五人とともに養育されて昭和三二年三月中学を卒業し、さらに翌三三年三月(被控訴人一六才の時)松山高等経理女学校を卒業した。

(二)  右経理女学校卒業後ただちに、被控訴人は単身宇和島市に赴き、昭和三六年九月ごろまで同市内の衣料品店、陶器店等に事務員として勤務しながら生活していたが、そのころ再び松山市に戻つて同市内の洋裁編物学校に入学し、約一年四ケ月の間通学したのち、同三八年八月(婚姻届は同年一二月二〇日)三好照雄と結婚するにいたつた。

(三)  その間、被控訴人の母文子より昭和二九年二月二六日付請求書をもつて厚生大臣に対し、戦没者野中大吉にかかる戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとづく遺族年金および弔慰金の請求をしたところ、同三〇年六月二二日付をもつてその請求を却下されるにいたつたが、それよりほぼ二年を経過した昭和三二年八月末ごろ、被控訴人の祖母野中ウルもしくは知人の池田某が、被控訴人を代理して総理府恩給局長に対し、恩給法附則一〇条二項にもとづく遺族扶助料支給の請求をした結果、同三三年四月八日および同年一〇月一日付をもつて本件支給裁定がなされ、これにもとづいて原判決末尾添付の一覧表記載のとおり、同年四月から同三六年七月までの間一五回にわたり合計六二七、五六六円の扶助料の支給がなされた。

(四) しかして、被控訴人が支給を受けた右扶助料はすべて、被控訴人が祖母らの膝下を離れて宇和島市内で商店勤務をしながら生活していたころから、松山市内の洋裁編物学校を卒業するころまでの約五ケ年間の生活費、学費などに費消してしまい、その返還請求を受けた昭和四一年六月中旬当時(受けた利益が現存するかどうかを判定すべき基準時)には見るべき財産もしくは貯えもなく、みずからも塗装店に勤めるなどして苦しい家計のやり繰りに腐心するような状態にたちいたつていた。

以上のような事実が認められるのであつて、これらの事実関係からすると、被控訴人が法律上の原因なくして得た利益が、その返還請求を受けた当時すでに、少くとも有形的には存在しなくなつていたことは明らかであるといわなければならない。もつとも、民法七〇三条にいわゆる「利益ノ存スル」場合というのは、単に利益が有形的に現存する場合のみならず、その利益が利得者のために有益に費消せられた結果、減少すべかりし財産がその減少を免れたような場合もまたこれに含まれるのであつて、しかも、法律上の原因なくして利得した金銭を生活費などに費消した場合については、もともと生活費というようなものはそのような利得の有無にかかわらず自己の財産をもつて支弁せざるをえないものであるから、それに必要な資金を自己の財産から支出したり、また、他から借り入れたりすることなく、右の金銭をもつてこれに充てたときは、利得者の財産はその範囲において減少すべかりしものが減少しなかつたことになる道理であるから、その利益は現になお存するものと認むべきだとするのが判例の立場であるとみられるのである(大審院大正五年(オ)第一五六号、同年六月一〇日判決、民録二二輯一一四九頁、大審院昭和七年(オ)第五九九号、同年一〇月二六日判決、民集一一巻一九二〇頁参照)。したがつて、このような立場からすれば、本件の場合も被控訴人の受けた利益はなお現存するものと認めざるをえないかのごとくみえないわけではない。

しかしながら、ひるがえつて本件扶助料の支給の状況、費消の態様等をみてみると、前記のとおり、当初に支給された三二五、〇五一円を除いて(前記本人尋問の結果によると、この分もすべて、その後四、五年のうちになしくずし的に前記のごとき使途に費消されたものと認められる)、その後は三年間にわたつて、三ケ月ごとに金二三、〇〇〇円余宛(月平均八、〇〇〇円弱)を支給するというものであつて、その金額は比較的少額であり、また、支給方法も一定額を継続的に支給するというものであるから、前記認定のごとき事情にあつた被控訴人の当時の生活状態からすると、この程度および形による収入の増加については、一般低所得給料生活者の昇給の場合と同様、それに伴つて応分の支出の増加が生じたに相違ないものと認められるとともに、かような収入の増加がなかつたならば、それはそれで右のごとき余分の支出をしないで済ますこともできたはずであると推測されるのである。のみならず、かりに右扶助料が支給されたのちしばらくは、これによつて喪失を免れた財産が一部残存していたとしても、被控訴人に対してその返還請求がなされたのは右扶助料の最終支給日からでもすでに約五年が経過したのちのことであるから、その間には、右残存利益も、本件扶助料の支給にもとづく収入の増加に応じて拡大された生活規模に見合う支出のためにことごとく費消されてしまつたものと推認するのが相当であつて、これらの点を総合して考えるならば、本件においては、被控訴人の得た利益は有形的に現存しないばかりでなく、それを得たことによつて喪失を免れた財産もなく、その他これを得なかつたならば他の財産を費消していたであろうと認められる事情もないというべきであり、したがつて、被控訴人の受けた利益はすでに現存しないと認めるのが相当であるといわなければならない(大審院昭和七年(オ)第一九一七号、同八年二月二三日判決、法律新聞三五三一号八頁参照)。

三以上のとおりであるとすると、被控訴人の得た利益が現存することを前提とする控訴人の本訴請求は失当であり、これを棄却した原判決は結局相当であつて本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条二項に従いこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。(橘盛行 今中道信 藤原弘道)

<参考> 原審判決の主文及び事実

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告指定代理人は「被告は原告に対し、金六二万七、五六六円およびこれに対する昭和四一年八月二八日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として、

一、訴外中矢文子(以下文子と略称する)は、昭和一四年一二月現役陸軍中尉野中大吉(以下大吉と略称する)と婚姻し、同一五年六月二九日その旨の届出をしたが、右大吉は同二〇年六月二〇日比島レイテ島で戦死した。

被告は、同一六年六月二五日右大吉と文子との間の子として出生したもの(同三八年一二月二〇日婚姻届出により三好姓に改氏)である。

二、右文子は、同二九年二月二六日付請求書をもつて、厚生大臣に対し、旧軍人である右大吉にかかる戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとづく遺族年金および弔慰金の請求をしたが、厚生大臣は、右文子が右大吉の死亡後同二七年三月三一日までの間に、訴外北井通俊と事実上婚姻と同様の関係にあつたものと認め、請求権がないものとして同三〇年六月二二日これを棄却するとともに、同三二年八月三〇日付請求書をもつて厚生大臣に対し、恩給法にもとづく同様の扶助料の請求をした被告に対し、次の裁定にもとづき次のとおり扶助料を支給した。

裁定年月日 昭和三三年四月八日 りに広

第四三三二九五号 同年一〇月一日りに広甲第四三三二九五号

支給金額 金六二万七、五六六円(明細は別紙支給明細書のとおり)

三、ところで右文子は、厚生大臣を被告として、東京地方裁判所に対し、厚生大臣が右文子の請求を棄却した処分の取消の訴を提起し、同地方裁判所は同三七年一一月二九日、「右文子と訴外北井通俊との間に事実上の婚姻関係と同視できる関係が存在したとは認め得ない」として、厚生大臣敗訴の判決をなし、東京高等裁判所も右原審の判断を支持したので、右訴訟においては結局厚生大臣敗訴の判決が確定した。

そこで、厚生大臣は、右文子が正当な受給権者であることになつたため、同四一年五月二七日、被告に対する前記裁定はその受給対象者の認定を誤つたものとしてこれを取消し、右文子に対しては同年五月二五日あらためてりに広六一九四七四号にて扶助料支給の裁定をなした。

四、ところで右のように被告に対する支給裁定を取消した場合その効果は遡及しそれまでに支給された金銭は法律上の原因を欠く不当利得となるから被告がその受給金額を返還すべき義務を負うのは当然であり、このことは本件支給の根拠法たる恩給法とその性質を同じくする戦傷病者戦没者遺族等援護法第三二条の四にあつても、「死亡したものと認定されていた軍人軍属若しくは準軍属又はこれらの者であつたものが生存していることが判明した場合において、その遺族と認定されていた者に遺族年金又は遺族給与金が支給されているときは、当該生存の事実が判明した日までにすでに支給した遺族年金又は遺族給与金は、国庫に返還させないことができる」とあつて、当然返還すべき義務の存在するを前提としていることによつても明らかである。

五、よつて原告は被告に対し、右支給済総額金六二万七、五六六円の返還請求権を有することとなり、被告に対し、同四一年八月二七日を履行期限として右債務の履行を催告したが、被告はこれに応じないので、右金六二万七、五六六円とこれに対する履行期日の翌日より民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べ、

被告は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因一項ないし三項の事実および五項の事実のうち被告が原告より同四一年八月二七日を履行期限として金六二万七、五六六円の返済の催告をうけた事実はいずれも認める。なお同四一年五月二七日付、被告に対する支給裁定の取消に対し、その取消を求めるため訴願その他の救済手段に訴えたことはない。しかしながら左の理由により原告の本訴請求は失当である。即ち

一、被告は原告主張のように、昭和三三年四月八日および同年一〇月一日の各厚生大臣の裁定により同三六年七月までの長期間に亘つて、原告主張のような扶助料の支給をうけていたものであり、その後同四一年五月二七日に至り、突如として原告が、前記裁定は誤つていたからというだけの理由で右裁定を取消すことは、その取消を必要とするだけの強い公益上の理由がなければ許されないというべきであつて、右裁定の取消はその内容において重大且つ明白な瑕疵があり無効である。

二、仮りに右取消が有効だとしても、取消原因は被告の責に帰すべき事由に基くものではないから、当事者たる被告の不利益のためには取消の効果は遡及しないというべきである。

三、仮りに右各主張が理由がないとしても、被告は目下手許不如意につき本訴請求に応じ難い。

と述べた。

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